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アーティストの生き様が共感へ
X japanのファンです。中学校くらいからですが、当時は、少し上の世代がよく効いていたようで、私の世代でXを聞いているヤツは、痛い人のような目で見られていました。私は隠れXファンでした。友達がXjapanファンというだけで、かなり変な風にみられていたので、私はその時は、あまりファンだということは言わないでおこうと思っていました(笑) 丁度、高校の頃に、hideがなくなり世界進出を目前にX は解散してから、ほとんどの時間 B’zや海外の洋楽を聞いていましたが、やはり、久しぶりにX japanを聞くと、当時テレビで放送していた頃のことが蘇るので、とても懐かしい気分になります。ただ一時的にも復活ライブとかやっているので、もっとテレビにでてほしいところです。特に、アーティストの生き様自体がストーリーとなっているようなアーティストは、味があってとても気に入ります。おそらくX japanもその一人です。特に、這い上がっているようなアーティストに共感できます。X のほかにも矢沢永吉さんもかなり人生に共感できます。このあたりが音楽だけではないパワーを感じますし、そういう所に影響されます。又は、私は、B’zのファンクラブに入るほど、B’zファンでライブにも何回もいっていますが、B’zからは、人生に影響をあたえるまでパワーを感じたことがありません。これは、おそらく、B’zのお二人が、超優等生で、人生に浮き沈みがリアルタイムで伝わってこなく、あくまで、曲の歌詞の中だけの話だからなのかもしれないです。このような差で、アーティストの見方が変わってくるのは、もはや、アーティストは曲だけではなく、人生も曲以上にパワーのあるコンテンツのように見られているのだと思います。共感される場所は、曲だけではなかったということで、アーティストにとって人生でのできごとはショーの一部だとつくづく思います。
生き様は共感を呼び込む戦略なのか
X Japanにしても、矢沢永吉さんにしても、デビュー当初からでは、生き様などがこれほど、表にでてくるとは思ってもいなかったと思います。いつくもの試練に関しても、有能な方なら、もっと苦労せずにリスクを最小限にできたのかもしれません。ただ、そうだとするなら、共感を得ることはできないだろうし、はやり、人間は、苦しい人思いをしている人に共感を得るほうが圧倒的に強いのだと思います。ただ、一方で、彼らのストーリーは、共感をえる一方で、ひとつ見かたをかえれば、マーケティング戦略の一環としてもとらえることができます。特に、はじめから、そのようにしようと思ったのではなく、途中から、便乗しようと思ったのかもしれません。このあたりは想像の域を超えませんが、生き方の共感というものは、時代を越えても、言語を越えても、壁がなくなるもので、特にX Japanの場合は、世界に音楽だけではなく、彼らの辿った人生までが、ひとつの商品の一部になっていることに気づかされます。世界中の人々の心に響くのは、音楽だけではなく、生き様も共感されなければ、近年では、売れなくなってきたのではないかと思います。
つまりアーティストが音楽で、ただ良い音楽をつくり、それだけで勝負するのとは次元が異なります。生き様だけは、自分がどのうよな経験を積み人生を歩んできたかなので、真似しようにも、真似することができません。そもそも彼らは次元が違う場所で戦えるアーティストなのです。